2006年 12月 12日
香港には今まで何回行っただろう。チムサーチョイ、チョンキンマンション、ネーザンロード、ジョーダン、セントラル(それぞれ漢字を当てるべきだろうが、思い出せない)。どれも思い出深い。 中島京子の「ツアー1989」は、香港を主な舞台にしている。というか、香港旅行が発端になっている。 ツアー参加者のひとりが行方不明になるという「迷子ツアー」。そのツアー先が1989年の香港なのだな。 迷子になった人が同じツアーにいるということで、妙な気分のままで旅を終える。それが目的なんて、面白い発想だなあ。 それは物語のホントの発端であって。それに続く物語がそれに引きずられていく感じ。 そして行方不明になった青年は、いつのまにか「吉田超人」として伝説化され・・・という結末へと流れていくのだな。 喪失感を味わいたいとか、そういう「ちょっと危ない気分を楽しみたい」というのは誰しも持っている願望なのかもしれないなあ。でも本当に危ない目に遭うと「二度と遭いたくない」と思うのだろう。ましてトラブルの当人はどう思っているのか。 なんてことを考えてしまった。読み取ろうと思えばもっと違った読み取り方ができる、そういうフレキシブルな味わいを持った小説だ。 ただねえ。ちょっと短いねえ。前半が3つの短編、後半が1つの中編から構成される連作風。構成も面白いのだけれど、前半の部分がやや食い足りない。後半もなんか種明かしをされたみたいで、ちょっとなあ。 もうちょっとひねって考えさせて・・・・なんてところがあったらよかったんだけど。香港の描写はちょっと懐かしいものがあったけどね。 森達也の本を探していたら、「いのちの食べ方」という児童向けの(たぶん)本しか図書館では見つからなかった。 森達也は元テレビプロデューサー。今もやってるのかな。オウム真理教を内側から取材したドキュメンタリーを撮るなど、社会派として知られているんだけれど、「ご臨終メディア」という本を出すなど、メディア批判も厳しいものがある。 前に「たかじんのそこまで言って委員会」に出てはったけど、素顔はごく控えめな、誠実そうなお兄さんなんですけどね。面白いことも言うし。 で、「いのちの食べ方」は食肉の話。 毎日お肉を(牛、豚、鶏)食べているけれど、そのお肉はどこからどうやってくるのか、考えたことがありますか? という問いかけから始まって、ではその実態をお話ししましょう、ということになる。 そして、魚をさばく映像はテレビで流れるのに、牛豚をさばく映像はどうして流れないのか、という話になり、臭い物には蓋をするということでいいのか、ということになっていき、部落問題にまで話が及ぶのである。 その話の中心はふたつ。ひとつは「僕たちはひどいことをしながら生きている。でもそうしなければ生きていくことができない。それを自覚することが大事」ということ。もうひとつは「知らなくてもいいと思って目をそむけずに、知ることが大事」ということ。 そのどちらもそのとおりだと思う。 書いていることに一貫性があるのが好感が持てる。ちょっと部落差別問題になると、話の飛躍があるかなあと思うことがあるけれど、本人が「僕の言うこともすべて正しいというわけじゃないかもしれない」と断っているから、まあいいか。 それにしても、これは児童向けの本じゃありませんよ。言葉も難しいし。まあ難しい言葉を使って、ひょっとしてこれを読んだ子供が「これ、どういう意味?」とか大人に聞いて、大人と子供の会話が始まる、ということまで見込んでるとしたらたいしたものだけれど。って、そんなことが起こる可能性は少ないと思うけどね。
by tacobu
| 2006-12-12 19:56
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