たこぶ・ろぐ-日本一お気楽な48歳-

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2006年 10月 30日 ( 2 )


2006年 10月 30日

何をしたか

なにも思い浮かばないので、こんな題をつけて、それで適当に何か書いたら、何か浮かんでくるかなあと思いつつ書いている。
別に「何もない一日でした」と書いてもええねけど。時々そう書くときもあるし。
でも「何もない一日」というのはありえないのだな。当たり前やけど。

そこで今日の朝からの行動を思い出してみる。
朝起きて、洗濯物を取り入れて。おっとその前に朝御飯を済ませたな。トーストにコーヒー。
そうそう、今日から会社に持っていく紅茶が、リプトンの安いものから日東紅茶に変わったのだ。リプトンを使いきったからやねんけど。
この日東紅茶がだいぶおいしい。いや、今までのはリプトンの中でも一番安いものやったから、比べるのはかわいそうかもしれへんけどね。
これをマグボトルに入れて会社に持っていく。お茶代わりに飲むんやな。マグボトルやと、夕方まで結構暖かいままやから、重宝しています。

さて、仕事。仕事はちょっと小康状態。つまり急いで片づけないといけないとか、社内全体が忙しくて忙しくて殺気立ってるとか(忙しくてもあんまりない)いうことはない。
この機会にと、データベースの整理を始めている。動物のデータベースですが。
これが。まあ暇仕事と言えば暇仕事やけど、動物の和名・学名をひたすら入力していくのですな。
なかなか骨が折れる。いつまでも終わらないような気がしてきて、こんなことを始めなかったらよかったと思い出したりしてももう遅い。最後までやるしかない。ははは。
おかげでいつもよりパソコンの画面に向かって、真剣にデータを打ち込んでいる状態です。いや、いつも真面目にやってますけどね。

今日は夜、ぶたこが用事で出かけていたので、しばらく家にひとり。
ひとり晩ご飯を済ませた後、さて、久しぶりにパソコンで音楽でも聞こうという気になった。
ノートパソコンには小型スピーカーをつないである。というか、いつでもつないで音楽が聞けるようになっている。でも普段はあんまり聞かない。

たまにはいいかな。そう、大好きなマーラーの交響曲を。MP3に変換したのがパソコンに入ってるし。
いつもイヤホンで聞いてるけど、たまにはスピーカーで鳴らしてみたい。

それで、スピーカーをつないでマーラーを聞く。交響曲第9番。
うーん、いい曲やなあ。そう、ここからクレッシェンドしていって・・・・
と、思ったほどには大きくならない。そらそうやな。スピーカーも小さいし。パソコンの出力にも限界がある。あんまり大きく鳴らすと音が割れる。

それにしても、迫力不足。これやったらイヤホンで聞いてたほうが、耳に直接音が飛び込んでくる分、迫力があるかも。

というわけで、オーケストラはあきらめて、トッド・ラングレンをかけていたのでした。軽~いポップスが、小型スピーカーにはちょうどよかったかも。
ものには「相応」というものがあるのだな。

トッドをBGMに、本のページを更新。
9時になって、何気なくテレビをつけたら「のためカンタービレ」をやっていた。何の気なしに見てたけど、ついついずっと見てしまった。
今日の中心になる曲が大好きなベートーベンの交響曲第7番だったのもあったかな。
これからも見てしまうかも。ううむ。見る番組が多くなって困るなあ。テレビっ子は卒業したはずやったのに。
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by tacobu | 2006-10-30 22:50 | 日記
2006年 10月 30日

昔の本、新しい本

光文社が文庫で出している「江戸川乱歩全集」はまさしく「全集」で、初期の怪奇小説から戦後の少年探偵団ものから、評論まですべてを文庫におさめている。オドロキだ。
以前も第1巻の「屋根裏の散歩者」は借りてきたのだが、表題作まで行き着かず、というか最初の2,3編だけを読んで返却したのだな。
今回は全部読んでしまった。

これは第1巻で、初期の短編集なのだが、それぞれの物語の後に作者自身による解題やあとがきみたいなものまで収録してあって、どういう気持ちで書いたのか、これを書く経緯はどうだったのか、そして自信の評価は、などといった興味もすべて満足させるという仕組みになっている。

普通は全集ものというと、「評論集」とか「解題集」とかが別巻みたいになっていて、それを引きつつ本編を読む、ということもあったりする。そこまででなくても、だいたい「注」と同じ扱いになって、巻末に一括して置いてある、というのが普通だろう。
それはそれでいいけれど。一つの話を読み終わって、その余韻が残っているうちに作者自身の言葉に触れられるというのはいい感じ。

さて、肝心の本編の内容だけど。まあ初期の作品群ということもあるのかな。なかなかの玉石混交ぶりである。
こう書くと「なんと偉そうな」と思われるかもしれないが、作者自身が「全くの愚作である」とか「拙作となった」とか書いているので(それも謙遜とかじゃないようだ)許してもらおう。

一応は推理小説(いや「探偵小説」というのが正しいでしょう)なのだけれど、話の筋がめちゃくちゃなものもあるし、有名な「二銭銅貨」などは「そんなことはでけへんやろう」と思ってしまうのだが(他にも同様なものはある)、それでも人気があったのは、その発想のユニークさゆえだろうなあ。今でも推理小説のモデルとして引き合いに出されるくらいは斬新なもの(だから荒唐無稽に思えたりするのだが)だったんだろうなあ。

一連の作品を読んで強く思うのは、当時の「時代」だ。
犯人をはじめとする登場人物は、皆何かとても退屈しており、その退屈を紛らわせるために殺人を犯す、退屈しのぎに殺人事件を推理する。ともかく怠惰な空気が漂っていてどうしようもない。
だいたい殺人などの事件を起こす動機も何もあったものではないし。ともかくトリック、トリック、トリックで、どうすればこういうトリックができるか、どうすればそれが解けるか、もうそれだけに関心があるようだ。

と思えば、自信を持って発表した推理小説より、ついでに書いたような怪奇小説の方が人気が高くなって、
「それ以降、怪奇小説に傾いていくことになった」
などと書いてたりする。そうかあ。世間の評判では「推理小説家」というより「怪奇小説家」だったのかなあ。

これまで飛び飛びに読んで来た全集を、ちょっと順番に読んでみるのも面白いかもなあ、と思い始めているのだ。作者の変遷みたいなものが分かるかもしれない。



「世界の果てのビートルズ」という題名は、なにか超宇宙的なイメージか、あるいは音楽を通じての交流のような話かと思わせるが、そういうのとは全く違う、スウェーデンの、作者の少年時代の話(半自伝的な)である。

スウェーデンのことで知っているのは、北の国、白夜、サウナ、福祉の国、ぐらいなものだ。
それも首都圏のストックホルムとか、その辺りの情報に過ぎない。もっと北の、北極圏のさらに北の村に住んでる人、なんて想像も出来ない。

作者はそんな村、フィンランドとの国境近くのパヤラ村に生まれた。そしてそこですごした少年時代を描いている。
といっても作者は僕とほぼ同年代。その村では世界の情報が時差をもってもたらされてくる。ビートルズもそうだった。
そして僕らと同じように、ビートルズにかぶれた若者はそのまねをしてバンドを組み、学校で発表会となる。

というような話は、しかしメインではない。それよりもそのまわりの、村中で起こるいろんなことが、それこそ次々に起こるいろんなことが、生き生きと描かれるのだ。

まあこれで、スウェーデンの田舎の生活がよく分かるとか、そんなことはない。分かるのは、世界中どこでも同じようなことをやっているのかなあ、という漠然とした同一感だ。
大人たちは酒を飲み、暴れ回り、少年たちははしゃぎまわり、空気銃を持って戦争ごっこをする。あ、そんなことはしないか。

まあよくある、「少年時代の思い出を綴りました」小説だ。ただし中身はちょっと濃い。
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by tacobu | 2006-10-30 19:44 |