たこぶ・ろぐ-日本一お気楽な48歳-

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カテゴリ:ひとりごと( 159 )


2008年 02月 12日

つまらんニュース

別に橋下知事がNHKに出たくないのなら、出ないでもいいじゃないかと思うんだけど。「NHKは「出してやってる」というつもりでいる」と言うけれど、逆に自分が「出てやっている」という意識はないのか。
ワイドショーでいろいろ取り上げられたけれど、まあ大した問題でもないよなあ。もともと橋下知事はNHKのことはキライだろうから、あいさつがなかったらそれでカチンと来るだろうし。
ただ、テレビの報道で「『ムハハのたかじん』とかぶってる時間だから、普通は出ない」と言うてたくだりは、ほとんどの局でカット。他局の番組の宣伝になるからか。これこそ、橋下知事の「タレント性」が抜けていない証拠なのだがナア。知事になったら、裏番組がなんでも、出てみるべきであるよ。で、遅れて出ることでも、出ることに承知したわけやからなあ。文句を言うなら、最初から「出ない」とすべきであったのでは? とも思うのである。
まあ、たとえ「今後NHKには2万パーセント、出ることはありません」と言っても、誰も信用はしないだろうけれど。

で、そんなことより、問題は府債の発行であるよ。公約では「原則ゼロ」と言うてたのに、「ゼロにはなりません」と早くも公約撤回。かと思ったら、
「僕は『原則ゼロ』と言ったのであって、マスコミが勝手にゼロ、ゼロって報道しただけでしょう」
とは、あきれてものも言えん。むしろ、「ゼロにしたかったけど、いろいろ頑張って考えたけど、ゼロにはできませんでした、すみません」と、頭を下げてくれたらそれで納得できたのに。
政見放送で、平松大阪市長の議会運営に触れて、
「実現できないことを、夢を語るのは政治ではありません」
と言い放ったけれど、「府債ゼロ」は夢でした、というつもりか。あるいは、そうは言えないので「マスコミが勝手に言った」ことにしようとしているのか。
これからもこんなことが続くのかなあ。
ワイドショーも、NHK問題より、こっちのほうこそしっかり報道せえよ。橋下の公約違反やぞ。なにをつまらんニュースばっかり流しとるんや。

あ、ひょっとして、NHKに文句を言ったら、そっちの方が取り上げられて、府債問題は後回しになるという計算があったのか。だったら、余計に腹が立つ。

ああ、つまらん。
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by tacobu | 2008-02-12 00:02 | ひとりごと
2008年 01月 27日

市バスのとほほ

昨日のはなし。実家に帰るのには、市バスを乗り継ぐのである。乗り継いで、しばらくすると家の近くの停留所にとまる。Iという停留所が一番近い。
車内放送で(ワンマンなので、放送はテープである)「次は○○」と言うてくれるし、運転席の横、つまり一番前には電光掲示板で次の停留所の名前も表示されるので安心だ。

と、思っていた。

I停留所の前のS公園前停留所を過ぎて、あれ? と思った。まわりの景色がどうもI停留所にそっくりなのだ。しかし車内放送は「S公園前です」。電光掲示板にも「S公園前」の表示。うむむ。見間違いか。まあたまにしか来ないのだし。
で、その停留所を過ぎて。どうもおかしい。しかし車内放送は
「次はI、Iでございます」電光掲示板の表示もI停留所になってる。うむむ。ま、とにかく降りるので、降車ボタンを押した。

しかし、いつもと違う交差点を過ぎてしまったぞ! これは、I停留所の次の、A三丁目ではないか?! ぶたこも「おかしいなあ、ひとつずれてる?!」
すると、隣に座っていた女の人が、「ずれてますよねえ」と言ってくれた。ああ、やっぱり! ひとつ乗り過ごしたやないか! 最低っ!

しかし、運転手はそのことにまったく気付かない様子。表示を直すこともなく、そのまま停留所に停車。
降りるときにぶたこが「ここって、A三丁目ですよね!」
すると運転手
「そうですよぉ」(なにをのんきに答えとんねん!)
「表示がIになってますよっ!」(ちょっと怒りモード)
すると運転手
「あぁ、そうですねえ・・・・」と手許のスイッチで表示を切り換える・・・・って、それだけかい! だいたい、まず「すみません」やろう!
謝りもせず、たいした間違いじゃない、っていう感じで対応されたのが、なんか最低であった。
たぶん、わたしらが降りる、そのずっと前からずれていたんだろうと思う。わたしらが降りた停留所は、前の停留所からそんなに離れていなかったし、わたしらも元気で普通に歩けるからええけど、足の悪い人やったりしたら、ひとつずれるだけでも大変やで。それを分かっているのだろうか。とても気分が悪かったのだ。
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by tacobu | 2008-01-27 23:48 | ひとりごと
2008年 01月 27日

大阪府知事選

あまりにも気分が沈んでしまったので、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのシスター・レイを聞きながら書いている。どよ~~ん。
まあ誰がなっても「どよ~~ん」となってたやろうけどね。だから、ま、落ち込むのも今日だけかも知れへんけど。
だいたい、「この人になって欲しい!」という候補が居てへんかってんから、どんな結果でも驚かない、落ち込まない覚悟はしてたつもりやってんけど。それでも、なあ。

ま、ともかくも、決まったことには従わざるを得ない。悪法も法なり、なのである。案外、実行力があって、いい方向にいくかもしれんし。
政見放送で「議会の多数の指示をいただいています」というときながら、当選のインタビューでは「議会と対立するところは対立します!」とはっきり言うてたしな。なんか、どこまで信用できるのか、いまのところは疑問だらけ。でも、決まったものは仕方がない。
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by tacobu | 2008-01-27 23:29 | ひとりごと
2008年 01月 19日

迷いの中の大阪府知事選挙

大阪府知事選挙をやってますねん。府民やから、投票に行こうと思ってますねん。で、どの候補者に入れるかが問題で。って、あたりまえやけど。
それを吟味しようと思って、告示前の公開討論会にも行ったし、新聞に載ってる候補者の記事にもできるだけ目をとおして。それから、テレビの政見放送も見て。
で、ますます迷ってます(-◎-;)

弁護士でタレント活動もしているH候補。はじめはこの人だけは通ってほしくないと思っていた。しかし、公開討論会では一番好感が持てた。くやしいけれど。ほかの候補とは違っていて、堂々としていたし、なにより正直にいろんな事に答えているように思えた。
それに比べると、元大学教授のK候補は、聞かれたことに明確に答えられない、質問をはぐらかすような感じで、出来のよくない政治家の答弁を聞いてるみたいでイヤだった。当選する前からイヤな政治家とは。
弁護士のU候補は、地味な感じ。ほんとにやりたいのか、という意欲のようなものが感じられなかったなあ。2回目の出馬なのに、緊張しているみたい。というか、押し出しがあまりにも弱くて、大丈夫かいなと思ってしまった。

というのが公開討論会の時の印象だったのだが。
今日、テレビの政見放送を見て、また印象が変わってしまった。
H候補。どんな政見を言うのかと思ったら、「政治を実行するには、議会との協力が不可欠です」「議会の多数派の支援を受けているわたしなら、実行できます」「政治を変えたいのなら、府議会選挙でどうぞ」
そういうことに終始していた。なんやそれ。政策などの説明は一切なし。これって、政見放送? つまりは「多数派を応援しなはれ」ということ? 聞きようによっては、「府知事選挙なんて意味ないよ~」と言っているようなもんやガナ。で、その選挙に出てるアンタはいったいなんなんや。冒頭に「今から難しい話をします。我慢してきいてください」みたいなことを断ってたけど、全然難しい話でもない。これくらいの話も、府民には難しいだろうと思っているってことか。府民をバカにしているか、本人がバカか、どっちかやろうなあ。両方かも。なにより、公開討論会の時は「議会と衝突する時もある。そのときは知事が責任を持って政策を実行する」と言うてたのに。ちょっとこの、発言の翻り方は「信用できるんかいな」という思いを持ったなあ。
U候補。ちらちらと原稿を見ながらしゃべっていて、ホントに自分の言葉でしゃべっているのかと思えた。確かに、限られた時間で、ちゃんといろんな話をしようと思ったら、原稿のとおりに間違いなく読まなあかんのだろうけど、ほんの数分のことぐらい、覚えたらどうかと思うなあ。話の中身よりその「ちらちら」が気になってしまうであるよ。政策の中身はいろいろいいこともあるんやけど、なぜか心に響いてこない。なぜ?
K候補。政見放送ではまったく原稿を見ることなく、淀みなく語っていて、こういう「講義」のようなものには慣れているのか、あるいは相当練習したか、だろうなあ。一番落ち着いていて、一番話の内容が頭に入ってきた。ただ、公開討論会を見に行ったときは、質疑応答がまったく成り立たなかったのに、という疑問はある。つまりは、決められた原稿をを読む、決められたことを処理する能力には長けているんだろうけれど、即興というか、その場その場で対応が求められることがらには、どれだけ対処できるのかなあ、という思いは残る。それに、この政見放送は、あの公開討論会のあとに録画されたもののはず。しかし、討論会の場で指摘された(ツっこまれた)具体策については、明確な付け足しのようなものはなかった。梅田北ヤードの開発にしても、討論会の時は「これは夢です」とことわっていたけれど、政見放送では、まるで公約のようにも聞こえてたし。大型プロジェクトが中心という考え方に寄っているような気がするしなあ。それは今までの府政と余り変わらない、イコール今までと変わらない大阪府、いままでどおりの赤字経営、という図式にならないかが心配。

政見放送では、いわゆる「泡沫候補」といわれる人の放送ももちろんあって。これが意外とはっきりとしていて、堂々としていて好感が持てました。あれくらい気概を持って、ほかの候補者も意見を言ってほしいなあ。

そんなわけで、なかなか決め手に欠くのです。前に書いたけど「いやいや愛せる」ひとっていうのを選ばなあかんのですが。
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by tacobu | 2008-01-19 22:39 | ひとりごと
2007年 12月 30日

【金沢21世紀美術館】アートについて考えさせられた

先週、青春18切符で金沢に行ってきた。で、前から興味があった「金沢21世紀美術館」に行ったのだ。
広場のようなところに建てられた低い建物。外にある建物のなかでは、日比野克彦のワークショップがあったり、と楽しいところもあったんだけれど。ううーむ。なんか考えさせられた。アートってなんなんやろうって。
たとえば、よく知られた「プール」。庭にあるプールの底に、見上げている人がいる、という作品なんだけど。
これは「アートです」と言われればそうなんだけれど。これがどこかのビルの、あるいは商業施設の一角にあってもいいわけで。そうするとそれは「面白スポット」として紹介はされるだろうけれど、「これがアートです!」と言われるかどうか。
芝生に置かれた、人が中には入れるオブジェも、面白い形だなあとは思うけれど、児童公園にあったら、ただのジャングルジムの変形ともとれる。でも、公園のジャングルジムを見て「アートだ」と思うひとは少ない(皆無?)と思う。

つまりは、見る人がそれを「アート」と認めるか、あるいは作り手、提供する方が「アートだ」と主張するかしないと「アート」にならないような。現代のアートはそうなってるような気がするなあ。前者はまだしも、後者はどうなんだろう。「アートだ」と主張すればなんでも認められるようなものというのは、ちょっと違うと思うんだけど。

また、作り手が見る側に「これはアートだと認めろ」と主張する場面もあって。今回見たもののなかでも、展示室に一定の人数しか入れなかったり(観客も含めてのアート作品という考え方)、見る前に説明を読むことを求められたりしたものもあった。そうなると、見る前から「これはアートだ。立派な作品なのだ」ということを認めないといけないような気分になって、なんだか窮屈な状態で作品と向き合うことになる。それっていいことなんだろうか。あるいは仕方のないこと?


日にちが開いて、帰りに飛騨高山に寄ったんですよね。そこでは工芸品がいろいろ売られていて。それらの見事な造形を見ていると、ああなんて素晴らしいんだろう、と思うわけです。その感動は、たしかに芸術品に触れた感動なんだけどなあ。
そしてそれらのひとつひとつにはもちろん値札が付いていて、つまりは「売り物」なわけですよね。
そういう「売り物」と「アート作品」との境目はどこにあるんだろう。
実はないんじゃないかと思うんだけど。ぼくらが勝手に境目をつけてるだけで。

ついでに「金沢21世紀美術館」についての感想をいうと。話題にはなってるけれど、びっくりするようなインパクトはなかったなあ。なにしろ常設展示している作品が少ないし。何時間も楽しめるというところでもない。ま、ひとによりけりでしょうけど。
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by tacobu | 2007-12-30 01:15 | ひとりごと
2007年 10月 28日

大阪市バスのサービス

昨日は市バスを乗り継いで、法事に出かけたのだった。わが家の隣の駅から(その駅までも歩いて15分程度)バスが出ていて、一回乗り継ぎをするだけで、実家の近くに着くのである。バスを乗り継ぐだけだと料金は無料。つまり、1区間の料金で2区間乗れる(200円)

で、バスに乗っていて、途中の停留所で、年配のご夫婦が降りようかどうしようかと迷っている様子。奥さんの方が運転手さんに訊ねに言った。ここで降りて乗り換えて、どこそこまで行くバスに乗れますか? と。
もちろん運転手さんは親切に乗り換え場所とかを教えてくれて・・・・・と思ったのに、答えは意外。
「さあ、この路線しか分からないもので・・・・ほかの路線がどうなってるか、ちょっと分かりかねるんですが・・・・・」
口調は丁寧だが、内容はまったく理解できない。えっ、すると途中の乗り換えとかは分からへんってことですか? ひとごとながら思わず耳を傾けてしまった。運転手さんが続けて言うことには、
「私ら、公務員でもなんでもないんでねえ、ぶっちゃけた話が、運転手の半分以上は大阪市民でもないんですわ。ですから大阪の地理のことはほとんど分からないんです。ですんで、乗り換えて別の地名を言われても、ちょっと分からないんです」
「なにしろ民間なもんで」
と、最後はよおわけの分からん言い訳までしていて。ご夫婦はこれではらちがあかんと思ったか、あきらめて次の停留所で降りはりましたが。

そうかあ、昨今のバスの運転手は大阪市民ではなく、地方から雇っているのか。しかも大阪の地理については疎い。
というのは仕方がないにしても。運転手をするからには、運転している路線だけではなく、せめてその路線と連絡しているバス停の行き先ぐらいには精通してもらわんとアカンわなあ。なにしろ、バスの中で責任をもってそういうことに答えられる人は(ワンマンカーなんやから)運転手さん以外には居てへんわけやし。
「そんなに詳しいことは覚えきれません」というのなら、カーナビのようなもので連絡先が分かるようなシステムを搭載するとか、無線か何かで答えられる態勢をとるとかしないと。

最近のワンマンカーは、運転手さんがマイクをつけていて、
「右に曲がります」「左に曲がります」「次止まります」「信号待ちです」
なんていう、昔なら車掌さんが言っていたようなことをいちいち放送してくれる。昨日乗ったバスは途中ででこぼこ道を通るところがあって、その前になると、「これ以降、車体が大きく揺れますのでご注意ください」とか、ベビーカーで乗車している人が居たら「ベビーカーが転がらないようにご注意願います」とかいうことまで言うてくれるのだな。
そういう心遣いというか、サービスのようなことができるようになっているのに、肝心の乗り換えには、乗客の簡単な質問にも答えられないとは。
これは、なんとかしてほしいと思いますね。
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by tacobu | 2007-10-28 17:45 | ひとりごと
2007年 08月 06日

8月6日

ウェブ上の日記は、5年前(2002年)のこの日に始めたのだな(ブログじゃなく、ウェブサイトの方)。ちょうど5年経ったわけだ。
5年経っても、世界の状況はあんまり変わっていないね。むしろ悪くなっているような気さえする。

20年前。世界中で(とくにヨーロッパで)反核の運動の盛り上がりがあって。その時、
「21世紀になったら、核兵器廃絶が現実になっているかも・・・」
と期待していたのだが。
21世紀も9年経ってしまったよ。

世界はそう簡単には変わらない、ということは分かった。でも、まったく変わらないものでもない、と信じてもいる。そうでないとやってられない。
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by tacobu | 2007-08-06 23:20 | ひとりごと
2007年 07月 21日

宣伝

きのうの仕事の帰り。地下鉄の駅の入口で、女の子が6,7人、何やら宣伝物を配っていた。それはよくあることなんやけど。問題は(問題でもないけど)その格好である。ミニのワンピースに、背中に翅がついている。蝶々のように。人によってそれぞれ色が違っていて、青、赤、ピンクの三種類。つまり「青い蝶々」「赤い蝶々」「ピンクの蝶々」なわけか。
喋っているのを聞くと、どうやらシャンプー・コンディショニングの試供品のようだ。
が。
それにしてはその格好はどうなんやろう。ただ試供品を配るだけやったら、普通の格好でもエエのになあ。
ほんで、これが日本橋のオタク街とかやったらまだ大丈夫(偏見?)ヤト思うのだが。ここはビジネス街。サラリーマンとOLが行き交う、その駅の入口で配るのには、ちょっと考えた方がエエと思うんですけど。
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by tacobu | 2007-07-21 00:35 | ひとりごと
2007年 07月 20日

有言実行

ブログだったかHPだったかで、「有言実行」と打ったら「有限実行」と変換され、気がつかないまま表示させていた。
ああそうか。こういう言葉は日本語にはなかったなあ、と改めて気がついたのだ。ぶたこは、普通の言い回しとしてあると思っていたらしい。ぶたこがそう思うのも分かる。いまや普通に使われてるもんなあ。
もともとは「不言実行」:ごちゃごちゃと講釈をたれずに行動すること、なのだな(たこぶ的解釈による)
で、「不言」ではなく「有言」になったのは、「はっきりと「こうする」と宣言して、実際そのとおりにすること」という意味で、だれかが「不言実行」をもじって使ったのだろうなあ。いつ誰が、というのは大した問題ではないけれど。
思うことは二つ。ここまでいろんな人が普通に使い(ぶたこが元々ある言い回しとして理解するように)、市民権を得るってことがあるのだなあってこと。言葉っていうのは、みんなが使うとそれが通用するのだなあ。魯迅じゃないけど「多くの人が通れば、そこが道となる」のだなあ。
もうひとつ。今のワープロでは「有限実行」としか(デフォルトでは)変換しないように、国語辞典には載ってないやろうけど、市民権を得たら載るようになるんだろうなあ。
と思って、ウェブの辞書で検索したら、載ってましたね、すでに。

まあ、言葉っていうのは変化・発展(時には衰退)していくもんやから、「この使い方は間違い!」という指摘もしにくくなってきますなあ。国語の先生は大変や。
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by tacobu | 2007-07-20 00:53 | ひとりごと
2006年 10月 24日

便利になった、と思い込んでいること

今日の夕方。社員の人がなにやら文句を言っている。家の固定電話がつながらないんだと。
その人の電話は光電話。そうです。きのうからNTTのサーバがパンクして、つなぐのを制限しつつ対応してるんですな。
この「光電話の不具合」って、結構しょっちゅう起こってるような気がするなあ。思い込み?
そしてその都度、サーバを強化するとか増加するとかで対処して、でも何ヶ月かするとまたトラブル。
その社員の人は携帯電話を持っているので、大きな障害はないと言っていたけれど、固定電話がほとんどメインという人にとっては大問題でしょう。通常のダイヤル回線を使っていなかったら、電話での連絡は取られへんようになるんやし。

テレビでは光電話、光通信ってことが、時代の最先端のように言われて、まあ確かに時代の最先端を行ってるんでしょうが、まだまだちょっとしたことでトラブルがあるんですね。そしてトラブルがあったときにささっと対処して、すぐに対応することができる、というふうにはならないのかなあ。

そういうわが家はADSL。Yahooと契約していて、電話もYahooBBフォン。BBフォン同士だと無料になる、というのが売りなところもあるけど、そんなに電話を使う方じゃないので(メールが多いな)、まあときどきその恩恵にあずかる程度。それでもNTTの固定電話に比べると格段に安い(と思っている。そのはず)。

まあそのうち、政府が本腰を入れてインフラを整備して、どこの家でも光通信が出来るようになる、ひょっとしたら通信は光通信だけになる、なんてことになるのかもしれないけれど。地上デジタル放送みたいにね。

そうなったらそうなったときに考えよう。地上デジタル放送もそうだけど、いまから将来のことを考えて、「どうしたらいいのだ?」と悩むのはめんどくさい。悩みに悩んでも、結局はそこそこのところに落ち着く、落ち着くしかないと思っているのだ。

話がどんどん違う方向に行ってるけれど、光通信のことです。
いまさら「サーバを増加して」なんて言うてる。今まで何をしてたんですかねえ。
いっぱい宣伝して、「便利ですよ」「早いですよ」と、加入者をどんどん増やしておきながら、みんなが利用し出したら「能力が追いつきませんでした」とは、ほんまに情けないを通り越して呆れてしまうなあ。
ほんまやったら、余裕を持ってハードを整備して、その上で宣伝、加入者を増やす、でしょう。そすれば少々予想を上回る利用があっても対処できたやろうに。

さて、さっきも書いたけど、社員さんは携帯電話を持っていたおかげで、緊急に困ることはなくなった。これも改めて、今の時代をあらわしてるなあと思ったな。

今や携帯電話は必需品。ひとりに一台。どころか、ひとりで何台も持ってたりして。
しかしわが家では夫婦二人とも携帯電話を持った経験なし。前に会社の携帯電話を使うときがあって、どうやってスイッチを入れるのかわからなかったよ(^◎^;)。それくらい携帯電話には疎い。

だから今日から始まった「電話番号ポータビリティー」というのも、もひとつピンと来ない。あたりまえか。車を持っていない人に、新車が出たのが関係ないのと同じ。パソコンを持っていない人に「WINDOWSが新しくなりました!」というのと同じ。

それにしても。ぶたこがブログに書いてるけど、番号は持っていけても、メールもプロバイダも、ダウンロードした音楽データとかも(?)持っていけないんですね。つまりは電話番号だけしか持っていけない。
それって、あんまり便利じゃないね。

ソフトバンクが新しい料金体系を発表して、そこに乗り換える人が多いんじゃないかといううわさもあったらしいけど、どうやらそんなにどっと乗換えが殺到する様子はないみたい。
大山鳴動、ネズミ一匹か。
というのを、外から眺めてるだけですけどね。

もひとつ。こういうIT関連のニュースが次々と流されると、逆にそういうことに煩わされない暮らしというものはないのだろうか、ということも考えてしまう。

いやいや。こういうニュースを立て続けに聞いたから、ということだけじゃなくて、昨日見たテレビ番組の影響があるのだな。
NHKの「未来への教室」。先生役は先日ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏。
バングラデシュの貧しい農村に暮らす人のために、低額の融資をする銀行を創設した人。というような紹介は必要ないでしょう。いろんなところで紹介されてるし。

番組では、ユヌス氏が先生となって、生徒たちに農村の、銀行から融資を受けて貧困から抜け出した人たちを訪ねて、その暮らしぶりを学んでいた。
番組のテーマは、いかに貧困をなくしていくか、その方法を探っていこう、学んでいこうというものだったように思うけれど、それとは別に印象に残ったことがあった。

貧しい農村だから、電話もない。電気すらない。ほとんどの機械は人力だ。
それでも仕事はできる。それでもものは作り出せる。生活はできる。

僕らは電気があってガスがあってネットがあって電話があって・・・と当然のようにその恩恵にあずかっているけれど、そんなものはなくても生きては行けるのだな。
だから、ちょっとしたトラブルや事故や不具合に、恐々として生きる必要はないのだ。そんなものは、生きる上でちょっとした便利なことに過ぎないと思わなければ。

ま、確かに便利になったにはなったんやけど。あ、表題とつじつまが合わなくなってきてるから(^◎^;)そろそろ終わりにしよう(_◎_)
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by tacobu | 2006-10-24 22:45 | ひとりごと