たこぶ・ろぐ-日本一お気楽な48歳-

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2007年 02月 28日

読んだ本一覧

あっという間に2月も終わりだ。よく「2月は逃げる、3月は去る」というけれど、ほんまにあっという間やなあ。
このページも更新をさぼっていて、いつの間にか感想を書いていない本がたまってきたであるよ。じっくりと感想を、ということはどうも出来そうにもないので(才能もなさそう)、ともかくいままで読んだ本をさささっと。

「セックスボランティア」河合香織(新潮文庫)は、出版された当初から気になっていた。高校の保健の時間に、先生が障害者介護の講習会での報告を聞いてきて、
「障害のある人は、自慰行為を親に介護してもらわないとだめだということやで」
と言ってたのを思い出す。そうかあ、僕らは障害者をどこか「特別な人」(いい意味でも悪い意味でも)と思てるけど、実は障害を除けば普通の人なんだから、ということを忘れてるなあ。
が、しかし。セックスボランティアというのは、どうだろうか。容認されるのか。その答えは保留のままだ。それはそれでいいのかも。いままで光の当たらなかったところに光を当てたことだけでも、よしということかなあ。

で、続いて読んだ「ナイト・ガーデニング」は、老人同士の(失礼!)愛の物語。美しい庭をとおしてつながり合う63歳の庭師と、61歳の、脳梗塞の後遺症のリハビリに励む女性。
心と心のつながり、ではなく、官能的な肉体的な快楽をも共有するふたり。そして突然襲う悲劇。ううむ。
話のながれとしては(結末も含めて)まあ普通の恋愛小説なんだけど、60を越えた二人の愛というところと、二人の共通の趣味(ガーデニング)が、日本的なそれであるところが面白い。
日本的であるが故に、ふたりは結ばれる・・・という風にも読める。そんな風にパターン化してはいけないのかもしれないけれど。

「貧相ですが、何か?」を書いた土屋賢二氏はお茶の水女子大の教授。まあ面白いから読んでみなさい。自虐的なユーモアもここまで来れば大したもの。
その合間に、したたかな芯の強さも(ほんのちょっとだけ)かいま見えるのは、自分も貧相だからかなあ。

ドリトル先生シリーズを2冊。「アフリカゆき」がこのシリーズの1冊目なのだね。2冊目が「航海記」
2つを比べると、量もそうだけど(「航海記」は「アフリカゆき」の倍以上)内容も「航海記」の方が断然面白い。動物と話が出来るお医者さんという、まあ、荒唐無稽な話なんだけど、そういうものこそ面白いのだよ。

新書が2冊。とはいっても、「中世日本の予言書-<未来記>を読む」は最後まで読めなかった。予言書が、実は後世になってから書かれたものであること、しかしそれを読み解くことで、当時の社会の状態が浮き彫りになること、なんてことが書いてあったと思う。
ただねえ、日本の古文書というのは、いくら解説されてもなかなか頭のなかに入ってこないのだなあ。
もう一冊は、「悪役レスラーは笑う」。日本人「ヒール(悪役)」グレート東郷の実像に迫ろうとするルポなのだが、どうも読みづらいねんなあ。森達也っていう人、文章をまとめるのは苦手なのかなあ。

ああ、やっと最後の1冊。ロアルド・ダール・コレクションの一冊、「ガラスの大エレベーター」
「チョコレート工場のひみつ」の続きというか、番外編というか。その最後に出てくるガラスの大エレベーターの話。大エレベーターは高く高く上っていって、ついに宇宙へ! ええっ!どうなるの?!
でまあ、おもしろいっちゃあ面白いんだけど。柳瀬尚紀の訳は、ちょっとしんどいときもあったなあ。いっそ原文を読みなさい、ということかなあ。
ロアルド・ダールは言葉遊びの大好きな人だったようだけど。それを日本語にするのに、ここまでやってもいいものかどうか。ちょっと僕には分かりません。



というわけで、今月もおしまいです。ふうふう。ほっ。
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by tacobu | 2007-02-28 00:00 |
2007年 02月 17日

ある日のぶーこ

どうもぶーこ以外はうまく撮れない(^◎^;)
修行が足りんなあ。というわけで、またまたひとりですみません(_◎_)
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この可愛さに免じて・・・・
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by tacobu | 2007-02-17 20:39 | うちのネコ
2007年 02月 17日

近所のいろいろ

最近、暖かかったので、近所の神社の梅がほころんできていまして。
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それから、これは何でしょう? いわゆる「ヒッツキ虫」のでかいもの(^◎^;)
大人の拳ぐらいの大きさです。
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by tacobu | 2007-02-17 20:37 | 日記
2007年 02月 12日

女の生き方

図書館で「島崎今日子」という名前を見たからには、借りずに入られなかった。「この国で女であるということ」は、アエラに連載されていた人物アンソロジーをまとめたもの。まえがきによると、それぞれの取材には相当な労力を費やしているようだ。
そのおかげで、それぞれの章は短いものの、内容の濃い読み物となっていてとっても面白い。島崎今日子の名前で選んでよかった。

それにしても。著者をも含めて、この本にかかれた女たちの強いことよ。その生き方の力強いことよ。
こんな人たちを前にすると、ことなかれ主義で流れにまかせてのほほんと暮らしている男である僕は、小さく収まっているしかない。この人たちの誰にもかなわないなあ。



「生協の白石さん」は、一時期とても流行ったな。おかげで二番煎じ三番煎じみたいな本が出たりもしたっけ。

東京農工大の生協に勤める白石さんが、学生のひとこと要望にこたえた、その返事をまとめたもの。
実にウィットに富んだ回答を書いていて、ほんとに楽しくなる。
僕はウッドハウスの小説に出てくる、執事のジーブスを思い出したよ。その言葉遣いも含めて。丁寧な物言いで、時に冗談で返し、時に警句を与える、そのセンスのよさには参ってしまうなあ。

とはいえ、こういうひとはたぶん至る所に居てはるんでしょうねえ。それにどれくらいの頻度でこういう答えが出せるのか、ということもあるしな。
たとえば100のうち10ぐらいがこういうウィットに富んだ返事で、あとの90ぐらいはごく普通だとしたら、ちょっとがっかりかなあ。

でも、この本の、ひとことカードの間にはさまっている白石さん本人のコラムを読むと、やっぱりこの人はセンスのある人なんだなあということが分かる。それでほっとしたり、やっぱり嫉妬したりするのだな。なんで嫉妬するかなあ。
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by tacobu | 2007-02-12 23:59 |
2007年 02月 11日

めぐりあう時間たち(2002年・アメリカ)

見る度に違って見える映画

年末年始にいっぱい映画を観て(DVDとかテレビ放映とかだけど)、その感想を順繰りに書いていこうと思っていたのだが、それは全部すっ飛ばして(いつか書くだろうけど)昨日観たこの映画のことを書きたくなった。それぐらい心にズシンとくる映画だ。

感動したとか面白かったとかなんていう言葉よりも、「ズシンときた」という表現がぴったりくる映画だ。悲しくて涙を流すとかいうこともないし、お腹を抱えて笑うこともないけれど、本当に心にくる。心臓の深いところに熱波を受けるような感じ。
うまく言えないなあ。

3つの時代の3人の女性の、それぞれの1日の物語。「ダロウェイ夫人」を書こうとしているヴァージニア・ウルフ、夫の誕生日の準備をするローラ、エイズの友人の書いた作品の、受賞記念パーティーを開くクラリッサ。
「ダロウェイ夫人」をキーワードに3つの時を自在に行き来する映像。そしてそれぞれの人生(というか1日)。

最初、劇場で公開されたときに観たのだ。そのときも映像の見事さ、物語の見事さに「ズシン」ときたのだった。なんというか、一種「完璧なものを観た」という印象。
どこがどう完璧なのか、は説明しづらい。なにしろ話がややこしい。
いきなりヴァージニア・ウルフが入水自殺するシーンから始まるんだけど(これが1941年)、画面はいきなり1951年のロスに移り、「ダロウェイ夫人」を読んでいるローラになり、またまたいきなり2001年のニューヨークに移って、ベッドから起きるクラリッサ。そしてまた1928年のイギリスに場面は変わって、ヴァージニア・ウルフが目を覚ます。この時点ではなにがなにやら、なのだな。
そして「ダロウェイ夫人」の冒頭の一節、
「花は自分が買いに行くわとダロウェイ夫人は言った」
で、やっと、ああこの物語は「ダロウェイ夫人」を軸に回るのか、と分かるのだ。

分かる、っていったけど、ほんとに分かってるのかどうか、はもっと後にならないと分からないのだな、実は。
話がややこしくなってくるので、あらすじについてはこれくらいで。

最初劇場で見たときは、この話はちょっとSF的というか、ヴァージニア・ウルフの書いた「ダロウェイ夫人」が、後の世の誰かの人生に影響を与えていく(それも何世代かに渡って)という不思議な力を持っていたのではないかという、そういう話しにとれたのだな。
ローラもクラリッサも、なぜ自分の生き方を模索して、そして悩みの中にいたのか、それは「ダロウェイ夫人」のせいだったのかも。
そして「ダロウェイ夫人」を書いたヴァージニア・ウルフも、その同じ悩みの中にいたのだ。だから後の世に影響を与えるような物語が書けたのだ。
しかしそれは同時に、彼女の正常な感覚を越えることで、そのために彼女は・・・。などと考えるのは、あまりにも想像の飛躍が過ぎるかも。

そして。DVDで改めて観たら、全く違った物語が浮かび上がってきた。それぞれの人生の物語。3人の女性のそれぞれの苦悩。ここは自分の生きる場所なのか。これが自分の人生なのかという不安。
それが時代を越えた命題であって、いつの時代にも、誰にでもある問いかけなのだという、その真理を追いかけているような。どこまでも追いかけているような。
そしてそれぞれの時代で、支えあっているものがいる。それがどこか悲しいような。

ううむ。なんともまとまりのないことになってしまったなあ。とにかくこの映画は、僕が今まで見た映画の中でもトップクラスに入るくらいに心に残る映画なのだ。その結末の不思議さや、物語の悲しさを含めても。
そして、観る度に違う印象を受ける。というか、観るところが色々変わってくるのだなあ。これからも何度か観る機会はあるのだろう。何回か観たいと思ったな。その度にまた、感動の種類が変わってくるのだろう。

言い忘れていたけれど、この音楽がとってもいい。フィリップ・グラスお得意のミニマムミュージックなんだけど、それが心の不安(とともに、ある種の希望)をかき立てていくようで。
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by tacobu | 2007-02-11 12:00 | 映画
2007年 02月 09日

この作家は大丈夫なのか?

別に僕が心配することでもないんだけど。綿矢りさの「インストール」を読んでそう思ったのだ。
いや、「インストール」は面白かった。この芥川賞作家17歳ののデビュー作、文芸賞受賞作。
登校拒否気味の女子高生が、部屋にあるものをすべて廃棄する。そのゴミ置き場に現れた小学生は、ゴミの中からコンピューターをもらい受ける。そのパソコンを使って秘密のアルバイトを始める二人。

誰ともコミュニケーションをとれなくなったと思われた女子高生が、パソコン=インターネットとい仮想空間を通して人と人とのつながりに目覚めていく。
という、まあ一見単純な話の内容なのだけど、これが綿矢りさの手にかかると、湧き出すような言葉の面白さと意外さ、リズムのよさで、なんだかウキウキとした気分で読んでしまうのである。
この文庫版の解説は高橋源一郎が書いているけれど、高橋好みの文体だなあ。若者らしくって、どこか言葉足らずのように見えて、すべてが十分っていう感じ。

芥川賞を受賞した「蹴りたい背中」でもそうだったけど、ここでの語り手である女子高生が、何の前触れもナク考えを変えたり話し言葉を変えたりする、その変わり身の速さ潔さが物語全体になんともいえないリズムを生んでいる。うまい。

ところが。
文庫版のため(たぶん)に書き下ろした「You can keep it」は、驚くほどあっさりとした、普通の青春小説だ。
子供の頃から「誰かにものを譲る」ことで自分の身を守ってきた青年。大学生となった今でも、誰彼となく自分のものを相手に譲ることで保身を計っている。そして恋をして、なんとか思いを伝えようとするのだが。

舞台が高校から大学に移り、主人公は大学生。ああ、綿矢りさも大学生になったのだな、と思ったけど。なんだか普通の「しゃべり方」になっていて、小説としてチットも面白くないのだ。そう。あまりにも普通。

先日、新聞紙上で最新作が間もなく刊行されるという記事が載っていた。なんと「蹴りたい背中」以来2年半ぶりの長編なのだそうだ。
そうか。あれから本になるほどのものは書いていなかったのか。
その間にどんな人生があったんだろう。かつて高校生で、高校生の口調で(しかししっかりとした世界があった)書いていた彼女は、その言葉を失ってはいないだろうか。

芥川賞を同時に受賞した金原ひとみは、その後も精力的に作品を書いているように思える。というか、彼女の場合は書くことで何かを発散しているようにも思えるのだ。
綿矢りさには、発散するようなものはないのだろうか。
もちろん金原ひとみと並べて考えるのは間違っているだろうけれど。ひょっとしたら綿矢りさは「発散型」ではないのかもしれないし。うん、たしかに「発散型」ではない。どちらかといえば「ひとりこもって考える型」かなあ。

そんな分類なんか、何の意味もないけどね。
ともかく、綿矢りさは、あの文体が魅力だとおじさんは思っていたのだけどなあ。どうなるんだろう。ちょっと心配になったのだよ、この文庫の2作の、その落差が。



岩波新書の「私の読書」は、奥付けを見ると1983年の刊行になっている。小説家、翻訳家、哲学者などなどが、自由に「私の読書」というテーマで書いている。
こういう短いエッセイをいろいろ読むと、世の中にはいろんな考えの人がいるのだなあと、改めて思い起こさせるものがあるなあ。
まあ中にはちょっと退屈な話もあるんだけど(作品の名前を並べられてもちんぷんかんぷんなのもある)、それぞれの人の「本」にたいする思い入れが語られるのを読むのは面白い。中に光る言葉がちょっとでも見つかると、宝物を見つけたような気になるし。
で、それは何だったかと聞かれると、もう忘れているのだな。宝物になりきれなかったね。残念。
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by tacobu | 2007-02-09 23:57 |
2007年 02月 07日

「ぶたぶた」の文字に反応して読んでしまう

図書館で「ぶたぶた」という文字を背表紙に発見してしまうと、手にとって読んでみずにはいられないのである。1作目の「ぶたぶた」からのファンなのだ。どうしようもない。

光文社文庫からは3冊刊行されている。それぞれ書き下ろしのようだ。
1作目が出たときは、一部の人間にしか認められていなかったように思うが、最近続けてこうやって刊行されているところをみると、どうやら固定読者をつかんだようである。って、それって僕のこと?

「ぶたぶた日記(ダイアリー)」は文章教室に通う人たちの心の交流というか、心の癒しを、「ぶたぶたの食卓」では料理の上手なぶたぶたの短編集、「ぶたぶたのいる場所」は、ホテルを舞台にした群像劇。とシチュエーションはいろいろだけど、われらが山崎ぶたぶたは初対面の時こそ驚かされるが、そのあとは人のいい、あるいは人間のよくできた(ぶたのぬいぐるみに「人間」とは・・・)ぶたぶたの魅力にみんなが飲み込まれていくという、その展開は大きく変わることがない。

というところが、安心して読めるというのと「なんか、変化がないなあ」という不満と、両方の感情をもたらしてしまうのである。
1作目の「ぶたぶた」は、いろんなぶたぶたがいた。詳しくは思い出されへんけど、真面目なぶたぶただけじゃなくて、ちょっとすねたぶたぶたとか。記憶を失ったぶたぶたとか。
そういうのはもう今後、出てこないのだろうか。それはそれで、ちょっと寂しいかな。



「穴-Holes-」は児童文学、なのだろう。無実の罪でサマーキャンプという「矯正施設」に送られる少年スタンリー。そこでは干上がった湖に穴を掘るのが日課であった。
「精神を正すため」
という理由がつけられていたが、所長の本当の目的は他にあった。
そして、思わぬ形で脱走に成功するスタンリーだが・・・

いろんな伏線が張り巡らされていて、それがラストで一本につながるのだな。いやあ、見事。ぢょっとハッピーエンドに過ぎるんじゃないかという気はするけど。
でも、こういう話、僕は結構好きです。先祖がどうとかいうわけじゃないけれど、どこかで誰かと妙な形で縁があるっていうこと、あるのかもしれないなあと思うし。
まあ、スタンリーのような幸運にはなかなか巡り会わないけどね。
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by tacobu | 2007-02-07 23:55 |
2007年 02月 03日

お久しぶりです。

久しぶりに撮ってみた。20枚ぐらいシャッターを押して、まともに写っていたのはこれくらい(^◎^;)
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久しぶりです。今後ともよろしく。
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by tacobu | 2007-02-03 01:21 | うちのネコ
2007年 02月 01日

これは面白い!

なんとなく手に取った本が、読んでみたらやめられなくなるくらい面白いと、まるで宝物を発見したかのようなうれしい気分になる。そして「こんな宝物を見つけたよ!」とみんなに知らせたくなるのだな。そうしてぶたこも読んで、楽しんでくれたみたいだ。
ヴィカス・スワラップの「ぼくと1ルピーの神様」は、この人のデビュー作なのだそうだが、すでに10数カ国で翻訳されて、映画化も決まっているらしい。たしかに、映画にしたら面白そうだ。

舞台はインド。12問正解したら10億ルピーの賞金が当たるという、ドコかで聞いたようなクイズがあって、初めて12問を正解したのはなんと18歳のウェイター、ラムだった。
彼は満足に学校にも行ったことがない。そんな彼が12問もの難問を解けるはずがない、きっと不正をしたに違いない。というわけで警察に捕まって拷問までうけてしまう。自白を強要されるが、弁護士が彼を救い出してくれる。そして「なぜ12問の難問に正解できたか」を話し始める。それは彼の人生そのものの話だった。

それぞれの問題の答えをなぜ彼は知っていたのか。どこでその答えを知ったのか、がこの話の中心で。その謎解きの面白さを追っていくうちに、インド社会の問題が浮き彫りにされるという、見事な構造になっている。
ひとつひとつの問題に対応した話がそれぞれ面白く、そして最後にはそれが融合される。あ、これって宮部みゆきに通じるものがあるな。なんというか、一冊で数倍楽しめる内容なのだ。
そして10億ルピーを手にして、それで目標達成!・・・ではなかったという最後の章が、とこれ以上は言えないなあ。

話がうまく行き過ぎるとか、「そんなに偶然が重なるわけはないやろう」とか、つっこみだしたら収まらないところもあるけれど、それを越える力というか、面白さがあるなあ。はっきりいって、ダ・ヴィンチなんとかよりも数倍面白いと言える。
ただ、エピローグはちょっと・・・という気がしたけどね。
それと、この邦題はなんとかならんかなあ。原題は「Q&A」という、シンプル克つクールなものなのに。

よく考えたら、インドの作家の本って読んだことがないなあ。ガンジーの伝記は子供の頃に読んだ覚えがあるけど。
だから今のインドがどんな社会なのか、身分制度とか貧富の差とか警察の腐敗とか、なんとなく見聞きしていることはあるけどよくは知らない。ああ、おとといまでNHKで特集をしてたな。あれも面白かった。というか、この本を読んでたからいっそう興味を持って見てしまったよ。
そういう風に、ココから世界が広がっていく可能性を感じる、そんな本です。宝を見つけた気分。



金井美恵子という人がどんな人か知らなかった。だから「快適生活研究」という題名を見たとき、ああよくあるインテリアとかキッチンとか、そういうたぐいの本かなあと思ったら、全然違っていて、れっきとした小説でありました。
しかも独特。こんなの、あんまり読んだことないなあ。

なんというか、筋らしい筋はあんまり見当たらないというか。これは僕がうっかり読み飛ばしてしまったのかなあ。何かねえ。なんとも捉えようがないのですよ。

まずもって、「。」(句点)がない。だらだらと長い長い一文が続くのですな。ひどいときは数ページに渡って「。」が一つも出てこないことがあって。
そうすると、この言葉は前のこのひとがしゃべっている言葉やと思っていたのが、いや違って実はその文の次に出てくるあの人がしゃべっていたのか、と思っていたら話がポンと飛んで、アレ、どうしたのかなと思ったらそれはまた別の人が「こう言った」っていうのが、かぎカッコもなく挿入されたりするのだなあ。
昔読んだプルーストの小説にこういうくだりがあったっけ。そうそう、金原ひとみも同じような手法でだらだらと書いてたものがあったなあ。もっとも彼女の場合は「おまんこ」のオンパレードになってたけど。

そういう語り手の話が7編収められていて。どうにも取っ付きにくいというか、一文は読み出したら、ともかく「。」が出てくるまで読んでしまおうと、これは楽しみよりも努力が先に立ってしまうのだった。そうすると読書というのが、ほとんどスポーツのような取り組み方になってしまうのだ。はっきり言ってつらい。
しかし「辛いなあ」と思いつつ読み進めていったら、最後の方、5編目か6編目あたりになると、偉いものでだんだんその文体に慣れてきてしまうのだな。だらだら加減がちょうどいいというか。まあこんな人はいるわなあ、「。」のないしゃべり方をスル人、と思ったらなんとなくその世界に引き込まれているのだな。
なんか、暇つぶしにだらだら話を聞かされているというか、暇つぶしにだらだらおしゃべりしているオバサンの話を、なんとなく聞いているというか、そんな気分になってくるのだ。

ああ、こういう調子で読めば、この本ももっと楽しく読めたのか。最近、「おもしろい話を聞かせてくれ」と本に要求していたなあ、と思い当たった。そうそうおもしろい話は転がってないのであるよ。たまにはただの「暇つぶし」の読書もあっていいのではないかなあ。あ、それが「快適」という意味か。
でも、最初に戻って読み直す勇気というか、やるきは起こらないのであった。



昔、本屋に勤めていたことがあった。毎月各出版社から「読書案内」「出版案内」のような小冊子が何冊か送られて来て、大体はお得意さんか常連さんに無料で配っていたのだが、ときどき残り物をもらったり、あるいは「勉強のために」という名目でこっそり持ち帰ったりしていた。
なかでも面白かったのは岩波書店の「図書」で、中の連載ものは時々あとでまとめられて新書になったりするのだった。

「翻訳家の仕事」も、元は「図書」に連載されていたものなのだと。連載中の題名は「だから翻訳はおもしろい」だったそうだ。都合37回連載されていたものをまとめたのがこの本。
37人の翻訳家・文学者の「翻訳」についての考え方や、翻訳の思い出などが語られている。ひとつのテーマに絞られていない分、楽しみ方も色々。読み方もいろいろだろう。

改めて思うのは、この人たち、日本語が面白い。読ませる文章を書きはるなあってこと。それがなくては翻訳はなりたたないのだろうなあ。
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by tacobu | 2007-02-01 23:53 |