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たこぶ・ろぐ-日本一お気楽な48歳-

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2007年 06月 24日

シアラーは何冊目だろう

アレックス・シアラーの本はもう何冊も読んでるなあ。「13ヶ月と13週と13日と満月の夜」は何冊目かなあ。4,5冊目になるか。
ぶたこに薦められて(そんなことはめったにないねんけど。特に児童文学は)読んでみたのだが、読み始めたらたしかに途中でやめられなくて、一気に読んでしまったよ。ほんまに面白い。

主人公カーリーは12歳の女の子。ある日、学校に転校生がやってくる。その女の子メレディスと友達になりたいと思うのだが、どうもうまくいかない。メレディスには両親はおらず、グレースというおばあさんとふたりで暮らしているらしい。いつも学校に迎えに来るのはそのよぼよぼのおばあさんだ。そしてなぜか、おばあさんがメレディスの面倒を見ているというより、メレディスがおばあさんにいろいろさしずをしているように見える。
ある日、おばあさんとふたりだけになったカーリーは、おばあさんとメレディスの秘密を打ち明けられる。それは信じられないような話だった。そしておばあさんは「わたしを助けて」というのだが。

はじめは学園もの、青春もの、あるいはおばあさんと少女の友情ものとか、そういう話かと思っていたら、だんだんおかしな方向に話は進んでいく。そしてカーリーがうまくおばあさんの願いをかなえられるのか? というところで、またまた話は意外な方向へ。そしてさらなる冒険へ、と発展していくのだな。

この、静かに始まって盛り上がっていって、そして最後はハラハラドキドキで「やめられなくなる」展開になっていくところ、シアラーらしくっていいなあ。
魔法とか呪文とか、そういうのが出てくるのがほかのシアラーの作品とはちょっと変わってるところやけど(「青空のむこう」もちょっと幻想ものやけど。あれはそんなに大きな冒険は出てこなかったなあ)
結末が、ちょっとうまくいきすぎて物足りない、と思うのは贅沢すぎますね。ここまで楽しませてくれたら文句を言ってはいけません。



普通、児童文学に限らず、小説には「起承転結」があるもんやけど、「ちいさなちいさな王様」には「起」も「転」も「結」もなく、あるのは「承」のみ。つまりいきなり話が始まって、唐突に終わるのである。

「ある朝起きると、そこに親指大ほどの王様が居た」とでもなっていたら、これはこれで「起」とも言えるけど、この本の書き出しはこうだ。
「しばらく前から、ほんの気まぐれに、あの小さな王様が僕の家にやってくるようになった」
そして王様と僕との会話が続くのである。

「小さな王様」と聞くと、すぐ思いだすのが「星の王子様」だろう。しかし「星の王子様」は「星から落ちて地球に来て、また星に帰る」という「起承転結」があった。
この「ちいさなちいさな王様」は、「僕」の部屋にきた王様が「僕」と会話をし、グミベアー(クマの形をしたグミ)を食べ、そして部屋の隅に消えていく。それもしょっちゅう。それだけの話なのだな。なんとも人を食ったような話だ。

思えば、「ムーミン」なんかもこのたぐいか。「ムーミン」がどういう出自か、なんてことは問題にならない。話の中心は「ムーミンがどんな冒険をするか」だけで、「何故ムーミン?」などとはみんなは考えない。
同じように、主人公の「僕」は、王様の存在を不思議に思ったりしない(実は思っているのかもしれないが、言葉には出てこない)。だから話の中心は、王様が「ちいさな世界」でどんな暮らしをしているかとか、どれほど「大きな人」と違っているか、ということだけ。大した冒険もしない。いちど「僕」の胸ポケットに潜んで外出するくらいのものである。そうすると、「僕」には今まで見えなかったものが見えてくる。渋滞の車の間に寝そべっている青い龍の姿とか。
そして王様は、いろんな示唆に富んだ問答を仕掛けてくるのだな。それがちょっと、心に響くところもあるね。

で、王様はどうなるのかな? と思っていたら、どうにもならないのだね。唐突に話は終わる。「それから王様は現れませんでした」とかいうのもなし。どうなったんだろうね。そこは読み手が考えることなのかも。

by tacobu | 2007-06-24 00:48 |


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