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たこぶ・ろぐ-日本一お気楽な48歳-

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2007年 11月 28日 ( 3 )


2007年 11月 28日

【マーラー:交響曲第1番「巨人」 バーンスタイン指揮:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団】

初めて聞いたマーラーは、レコードで、バーンスタイン指揮の「巨人」だった(ニューヨークフィル)。以来、その演奏が自分の中でスタンダードになってしまったのだなあ。そのレコードは3枚組で、1枚目が「巨人」、2枚目、3枚目が「復活」だったのだ。当時はレコードが一枚2400円になろうかという時代で、マーラーがそろそろ流行り出した頃でもあった。しかしマーラーというと曲が長い。1枚に収まる曲の方が少ないくらいだ。そしてどういうわけかクラシックのレコードの場合、2枚組になったとしても割安になることはなかったのだな。これがポピュラーミュージックのレコードになると、2枚組になると3000 円とか3600円とかになるのに、クラシックの場合はしっかりと4000円とか、4800円とかになるのだ。
月々の小遣いがちょうどレコード1枚分、というような身にとっては、2枚組のクラシックレコードを買うのは勇気がいったのだ。そんななかで、なぜか「3枚組4600円」というレコードが売られていたのだな。それもシリーズで。ほかのものには目もくれず(ほしくても買えなかったけど)、とにかく買ったのがマーラーだったのだ。

そういう思い出話はともかくとして。
バーンスタインは晩年に、マーラーの交響曲の全曲録音に挑んでいた。それもいろんなオーケストラを振り分けて、ライブを中心として、というまことに贅沢なというか、こういう企画が許されるのはオレだけだろうという鼻息が聞こえてきそうなシリーズだった。
その全曲録音は、第8番を残して、バーンスタインはこの世を去ってしまった。出来上がっていたら、人生2度目の全曲録音という快挙やったのにねえ。
第1番「巨人」は、たしかFMでも演奏会の模様が放送されたはず。わたくしもエアチェックして、なんども聞き返した。
楽譜から音楽を再創造する、という以上のものをやってのけている。ゆっくりとすすむところは、止まりそうなくらいにゆっくりになっていって、あれれれ、どうなるの?どうなるの? とはらはらしてると、一気に爆発して、こんどはアクセルがいっぱいに踏まれてクライマックスに突き進む。なんてことを、何度も繰り返すので、聞いてる方は息切れしそうになるのだが、マーラーを聞いている限りは息切れするくらいがちょうどいいのだよ、わしには。

はっきりいって、恣意的、扇情的、情念の破裂、なんとでもいえそうなめちゃくちゃな、最高にドロドロしたマーラーが聞ける。そしてその指揮にぴったりと食いついて、まるで一つの楽器のように指揮者の意向を再現させてみせたオーケストラもすごい。どれだけリハーサルを積んだんやろう、と考えると、ちょっとかわいそうな気もするが(^◎^;)

by tacobu | 2007-11-28 00:59 | 音楽
2007年 11月 28日

61.6kg、90cm

今日の体重&ウェストサイズです。
今朝も二駅ウォーキング。だんだん慣れてきましたわ(^◎^)
今日はとても暖かくて。上着を着てたら汗をかいてきたので、途中で上着を脱いで。それでも汗が止まれへんかったから、シャツも脱いで上半身裸になって・・・というのはウソです(^◎^;)
しかしそれくらい暑かったなあ、今日は。

by tacobu | 2007-11-28 00:29 | 日記
2007年 11月 28日

【充たされざる者】カズオ・イシグロ(古賀林幸訳・ハヤカワ文庫)

ひいふう。やっと読み終わりましたよ。意外と時間がかかったのは、読みにくかったからではなくて、個人的に時間がとれなかったからですけどね。確かにもってまわった言い方や慇懃無礼なもの言い(おっと)なんかがちりばめられていて、物語はなかなか進まないという面があるにはあるんですけど、それは読みにくさにはつながっていないのだな。

著名なピアニスト、ライダーは、初めて訪れた欧州のある町で、ピアノ演奏とちょっとしたスピーチをする予定である。ところが会う人ごとにいろんな話を聞かされ、相談に乗り(それもいやおうなく)しているうちに、時は過ぎていき演奏会の準備もできない。
たとえば、ホテルの支配人ホフマンは、ライダーのファンである夫人のコレクションを見て欲しいといい、さらに息子がコンサートで前座のピアノを弾くので、一度練習を見て欲しいといい、さらにホテルの老ポーターは、娘が何か悩んでいるようなのでその相談に乗ってやってほしい、「自分とは話をしないので」といい、その娘に会うと、その娘の子供を紹介され、「パパよ」などと言われると、そんなはずはないのに、かつて一緒に暮らした様子が思い起こされて・・・・・
いやはや。
書き始めて、この小説のあらすじなんて、大した意味がないんじゃないかと思えてきた。

で、語り手でもある主人公のライダー氏も、ひとつのことに集中するかと思えばそうでもなく、肝心なところではまったく力を発揮できずに(それでいて、自分には重い責任がかかってきていると、常に思っている)、ずるずると時間を浪費していくのである。
目的としているコンサートはおろか、パーティーやスピーチやその他もろもろのことがらが、何ひとつとして達成されないままに話はどんどん進んでいくので、読んでる方はイライラ感が否応なく募ってくるのである。訳者のあとがきにも触れられていたけれど、目的にたどり着こうとして堂々巡りを繰り返す、というあたりは実にカフカ的。いや、カフカ以上に幻想的な、あるいは不条理な会話やシチュエーションが満載である。

ああ、そのイライラ感にとらわれたら、それこそ作者の思う壺なのだろうナア。
だいたいこの小説は、シリアスな私小説なのか、それともコメディなのだろうか。途中でいくども「何でやねん?!」とツッコミを入れたくなる場面が出てくるのだ。そのたびに「ああ、コメディなのだなあ」と思うのだけれど、すぐその文体の丁寧さに、もとの純小説に戻ってしまうのである。

で、結局どうなるか・・・・・というのは、まあ読んでもらうとして。なんていう謎解きは結局はありません、というのにとどめておきましょう。

以前、斎藤美奈子の書評で、「最近のミステリは長編化している」というのを読んだことがある。今の読者は、「謎解きよりもミステリーの風合いを、できるだけ長く楽しみたいらしい」のだ。
同じ観点からこの「充たされざる者」を見ると、なるほど、ぐるぐる回るイシグロ世界をいつまでも堪能したい、できるだけ長く、という人にはぴったりな話でしょう。
それにしても、ほんま夢の中をさまようような感覚になりますけどね。

「日の名残り」とはまったく違うタイプの小説で、出版当時賛否両論が沸き起こったのは当然でしょうなあ。しかしこのあとの「わたしたちが孤児だったころ」とか「わたしを離さないで」を知ってる身としてこの作品を読むと、
一度はここまで振り切らんとあかんかったんかな、
という気がします。つまり「日の名残り」から一気に正反対に針を振り切って、そこからまたちょっと戻して「わたしたちが孤児だったころ」に行き、さらに微調整して「わたしを離さないで」に行き着いて、ということなのかなあ。いや、これこそ思い込みというか、それこそ適当な作品構成のあてはめに過ぎないでしょうけどね。
ともかく、これを書いたことで、このあと何を書いても許される、と思ったかどうかは、本人しか分からんことですが。

by tacobu | 2007-11-28 00:19 |